g_song's blog

備忘録的な。@g_song2

労働者諸君

働き始めて1ヶ月が経ちました。
1ヶ月も経てばだいぶ業務にも慣れまして、今や職場内を迷うことはなくなりました。ひたすら歩けば階だけあってれば着くレベルになったのです。今後は最短距離で辿り着けるようになり、その次は寄り道してから行けるようになり、最終的には「呼び出しに気が付かなかった」と胸を張って言えるようになりたいと思っています。

慣れない部分もあります。親しげに話してくださる先輩や上司の方の名前がわからないときなど、申し訳なくてたまらないですね。上の方になればなるほど名札が見えなくなるのはどういうことなんでしょうね。各部署のトップレベルの方々は自分の顔と名前が職場中に知られるとでも思っているのでしょうか。思い上がりというものですね。しかし人のふり見て我がふり直せと言いますし、僕も今後は「名乗るほどのものではないです」と言ってやらかした現場から即座に立ち去るぐらいの謙虚さを身に着けていきたいと思います。

世間ではゴールデンウィーク?とかいうイベントなんだそうですね。「金的が弱点」とかいう感じの意味でしょうか。
昨日だったか一昨日だったかの天気予報で「ゴールデンウィークも後半に差し掛かりました」とアナウンサーの人がおっしゃってましたがどういうことですかね。前半はいつだったんでしょうか。年内にありましたかね、それ。

メーデーに参加して労働者の地位の向上を訴えるべきだったのかもしれません。少なくとも労働すべきではなかった気がしております。

求められる人

仕事が始まってしまいました。仕事が。なんと。始まるとは。

ぬるいふぬけた学生生活を送ってきたので「責任」とかそういうむずかしいもじがよめなくてこまります。「主に貝に任せる」みたいな意味ですかね。

で、このブログを読んでいる方が何を僕に求めてるのかわからんという話をしたいわけですが。
え、なんなんすかね、もしかして隠しても隠しきれないインテリジェンスとか育ちの良さと品の良さとか滲み出ちゃってます?いやー参ったわー。隠しときたかったんだけどなー。溢れ出ちゃうしなー。
……みたいなノリのことしか書いてないですよね、基本。

別になんか科学的な話をしたいとか、なにかを人々に問うとか、そういう欲求は僕には基本ないですよ。自分がそんなに正しいと思ってませんもの。
むしろ僕は以前からはっきりと「手に入れた冬コミのエロい新刊をくれ」などと自分の立ち位置を表明しているのですが読み取れませんか?書きましたよね?国語って習ったことあります?義務教育範囲で足りる内容ですよ?なんでくれないの?

コメント欄を無視したり閉鎖したりすればよいのかもしれませんけれども、記事に関係のある話や関心のある話なら喜んで応じたいので、なんか無視するのはなぁと思ってしまいます。こういうところが付け込まれやすいのかなぁ。もう痴漢した息子の和解金を振りこむのは嫌だなぁ。子どももいないのに。

このブログでは最初に書いたとおり責任を負いかねないアドバイスやら意見やらは出来ませんししませんので、インターネットにどっぷり浸かった皆様におかれましては、オフラインで相談できる方に相談してください。もしくはオンラインで調べて消費者センターやら弁護士やらに相談してください。責任を取ってくれる人は納税なり相談料なりを要求するものですよ。エロい同人誌のほうがよっぽど安く済みますよ。

脱線に脱線を重ねましたが、何が言いたいかというと、名古屋コミティアに参加した人は漫画ならエロ非エロ問いませんので戦利品をお送りください。

移動手段

前の記事でも移動の話をしていた気がしますが、確かに毎日移動してるので、もしかしたら僕の趣味なのかもしれませんね、移動。

本日ようやっと様々な人々の協力や自力のメンテナンスや神のご加護などを得て、自転車を手に入れました。自ら転がす車。自ずから転がる、ではない。

23区を横断的な移動をしてみたりもしましたが、運動による健康面でのプラス効果と日焼けや排気ガスによるマイナス効果、どちらが上なのかはわかりません。

「自転車に乗るのは楽しいではないか」という意見は大いにもっともですが、「じゃあ電車に乗るのはつまんないのか」とか考えるとそうでもないですよね。変な広告楽しいし。

小さい頃から車や電車や飛行機に大した関心を抱かずに生きてきたので、まあこれを機に自転車を楽しめれば、そのうち一輪車、三輪車、四輪車でも楽しめるようになるかもしれません。あと20年もしたらプラレールを嗜む中年紳士になってるかもしれません。150年もしたら霊柩車を嗜む老紳士になっていることでしょう。楽しみ。

引越し、その非人道性

引越という非人道的な行為をご存知でしょうか。
今まで生活していた空間から別の空間に移動するという行為です。
言葉にすると簡単そうですし、どこでもドアや四次元ポケットを使えば一瞬で終わりそうなものですが、そうは行かないのが現実というものです。
そんなことはない、なんならこのどこでもドアを貸してやってもいい、というウエスト129.3cmの太っ腹をお持ちの青い機械がいらっしゃいましたら連絡をお待ちしております。どら焼きは用意しますので。

さて、話は変わりますが、ナチスの拷問で「ひたすら1日穴を掘らせ、その後にそれを埋めさせる」というものがあったのはご存知でしょうか。引越しはこれに近い性質を持ち、しかも超えています。

引越しではいかに綺麗にダンボールに詰めても、新居についたらそれを開けることになります。また大量に出るゴミは、このアパートに住んでいる期間のすべてが、拷問における穴掘りと同様の価値しか持たないことを無情にも示してきます。怖い。

次に引っ越すときは全て業者かドラえもんにやってもらおうと思います。ドラえもんの業者ではなく。しかし疲れた。

人生観

人格形成が教科書的にいつ行われるのかはよくわかりませんが、ある日突然ではなく時とともに成していくものであることは間違いないでしょう。
僕の場合、どこまでさかのぼるのが有意かはわかりかねますが、いくつかは挙げられるように思います。書物や漫画や歌詞の影響も大きいですし、中学からの先輩からは大きく影響されたと思っています。いい方向が悪い方向かはわかりかねますが。でも基本的には楽観的に生きてこられているのでいいんじゃないかと思っています。

高校を出てもう随分と月日も経ち、その友人たちと年に1,2回は集まってるようには思うのですが、会うたびに変化のなさと、一方でもともとあったであろう違いが目立つようになってきてるのかなぁと思います。今後は更に開いていくんだろうと思いつつ、まあまた会ったら会ったでなんとかなるんだろうとも思います。意識の低さを高め合えれば、それでいい。

足元をすくう

精神病を耕す―心病む人への治療の歩み

精神病を耕す―心病む人への治療の歩み

「『分裂病を耕す』の続刊!!」と帯にありますがそっちは読んでません。

精神科の本って色々あるとは思いますが、大まかに4つにわけられるのかなぁと思っています。
1つは科学的なもの。薬理とか生理とかがからむような。
1つは哲学的なもの。文系の方のほうが読んでそうな。
1つはトンデモ。これが一番売れる。書きたい。そして売りたい。儲けたい。
そして最後に上の3つをすべて混ぜ合わせたような経験的なものがあり、今回読んだのは経験的な面から見た精神科の本といえるでしょう。

診療報酬などの問題から入院日数がどんどん短くなる昨今ですが、何のために入院し何を根拠に退院させるのかなど、知識を詰め込むと抜けてしまいそうな部分が数多く指摘されていたように感じました。

本の最後に阪神大震災でのボランティア体験について綴られているのですが、発音上は正しいのでしょうがひたすら「ヴォランティア」と書かれており、「ヴォ」という表記の力強さが驚くほど感じられました。ヴォランティア。なんかこう「ヴォルデモート」に近しい物を感じる。

地球の火星の人類学者

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

レナードの朝」の人のエッセイのような症例報告のような。

発達障害や後天的な機能障害、または先天的な障害からの回復?など、興味深い話が多いです。
科学者としての視線と患者への敬意の両立をいかにしていくか、ということを教えられるような気がしますね。イシキタカイオレ。

発達障害の患児の持つ特別ないし特殊な才能がその障害と不可分なのか、芸術に感情や共感が必要だとしたら発達障害児の作品は「芸術」でありうるのか、など、答えが見え隠れするようなしないような。

表題作「火星の人類学者」を読んで、先日情熱大陸だったかに取り上げられた脳科学者の女性が思い出されました。その方の持つ憎しみは誰かがどこかでもう少し何かできたのでは、とあらためて思います。