g_song's blog

備忘録的な。@g_song2

この先、その続き

Gmailのデータ容量を整理しろ的なお知らせを受けて色々見ていたら、2012年の夏コミに出した小説の原稿を発掘しましたのでここに。
一緒に出したMさんは今頃どうしておられるだろう。ご存命でしょうか。

誤字脱字もありそうですけどもういいかな、という気持ちでそのまま。
記事タイトルが小説のタイトルなわけですけどどうしてこういうタイトルにしたのかとかはまるで覚えていません。


 冷房はつけたままにしておいて正解だったようだ。自分の部屋から徒歩五分ほどのコンビニ、その行き帰りだけで汗が額を伝っていた。節電が叫ばれる風潮もどこ吹く風で、現代社会の利便性をあえて使わないほど、僕は社会のためを思ってはいない。
 玄関のドアを閉め、部屋に上がる。額の汗は、エアコンの冷気でむしろ冷たく感じられた。買ってきた六〇円の当たりつきアイスをコンビニの袋から取り出し、手も洗わずにそのまま開封する。表面は一部融けてしまっており、歯を当てても期待された感触はなく、ほろほろ崩れるように融けた。
惰性でテレビのリモコンを手にし、電源をつける。見る気はなかったが、この部屋には何か音が必要だった。画面には、太陽の光でどこか気持ち悪いほど輪郭のくっきりした、白いユニフォームの高校球児たちが映し出された。ワーワーいう歓声と、どこか興奮した実況者の声。なにかいい場面なのかと思い、つい視線をテレビに固定してしまう。
 試合中の二校は、いずれも僕の人生でいまだかつて訪れたことさえない、関わり合いのない県の学校だった。縁もゆかりもない以上、どちらを応援するということもないが、今現在三点差で負けている学校が二死満塁でバッター四番、となるとこれは応援したくなる。
 画面下に表示されている今大会の成績は、芳しくなかった。それでも県大会ではもっと活躍していた選手らしく、解説者が何か早口でデータを並べ立てた。
 ピッチャーが初球を投げた。打者はまるで動かず、ボールはかすかに曲がってキャッターミットに収まる。ストライクのカウントが一つ点灯した。緊張で動けなかったのか、読みが外れたのか、変化球が苦手なのか。画面は応援席に切り替わり、攻撃側のチアリーダーが口元を押さえている姿をアップにしている。
と、いきなり再度マウンドに画面が切り替わった。一球外したらしく、ボールカウントがいつの間にか増えており、ピッチャーはちらちらと塁上の走者たちに目を配っていた。
 アイスはさらに液化して、持ち手の棒を伝って僕の指に触れた。見ると大きな滴が今にも垂れそうになっている。それを舌で舐めとろうと瞬間、視界の隅の画面が大きく動いた。実況の声がだんだんと調子を上げていく。カメラはライトに切り替わるが、白球は野手の頭を無情に越えていった。音量が小さくてもわかる、球場を包むわれんばかりの歓声と熱気。
 アイスを食べ終えて、べたつく指を舐める。汗か、手の汚れか、人工的な甘みの中にどこか塩気を感じた。額を伝う汗が瞼に乗り、その重さで反射的に目を閉じ、拭う。
 汗で体に張り付いたTシャツを脱ぎ、洗濯機に投げる。袖が指にかすかに引っ掛かり、ずいぶんと手前で落ちてしまった。拾い上げて、八割ほど中身の入った洗濯機に入れる。今日中に洗わないと、明日着るものがなさそうだ。
 冷たいぐらいのシャワーを、勢いよく浴びる。本当は温かい方がいいのかもしれないが、この一瞬の爽快感を味わいたかった。水流は肌を刺激し、交感神経の関係か、心臓が強く脈打つ。これでもし心臓が弱かったら、誰が、いつ、シャワーを浴び続けてボロボロになった肉体を発見してくれるのだろうか。
 高校の頃、近所のアパートで孤独死があった。僕はなにも目撃していないし、誰が死んだのかもわかっていない。僕の人生に関わりがないという点では高校球児たちとさほど変わらないのかもしれないが、その死体が発見される二日ほど前から、そのアパートの前を通るたびに妙な臭いがしていたのだった。
 母から孤独死の話を聞いた時には不思議と恐怖も嫌悪感も覚えなかった。ただ、その漠然とした死の臭いは、大学に入って一人暮らしを始めてむしろ鮮明になってしまっていた。いや、本当は、今思い起こしている臭いは当時のものとは異なるだろう。死体が、その腐敗臭が、鼻先にどこか甘い刺激を与えるなんて、あるはずがない。

 タオル一枚で浴室を出ると、テレビはニュースになっていた。先ほどの試合はもう終わったのか、教育テレビに切り替わったのか、判断はできない。今のうちにテレビを消してしまえば、きっと先ほどの試合を忘れることが出来るだろう。もうすでに、どこの高校かおぼろげになっているのだから。
テレビ画面はターミナル駅を映し出し、帰省ラッシュの混雑を伝えていた。疲れきった親と今にも跳ね出しそうな子供は、夏の風物詩みたいなものなのかもしれない。僕も昔は、父の田舎に家族で帰省したりもしたはずだ。川で遊んだ記憶だけはかすかにあったが、帰省の行程なんて何一つ覚えていない。子供だから覚えていない? 重要でないから忘れた?
 テレビを消し、体を再度入念に拭く。なにかこれで憑き物が落ちるのなら、皮膚が剥がれ落ちるまで体をこすり続けるだろうに。現実はそんなに楽じゃない。一日中家に引きこもって寝ていても、手首を切っても、現状は何一つ改善しない。死ねば楽になるのか。それにさえ保証を求めてしまう時点で、僕にその手段はふさわしくなかった。
 大学の夏休みは僕にとっていささか長すぎるようだった。去年も同じ感想を抱いたはずだが、その対策はまるで講じていなかった。忘れていたのか、忘れたかったのか、それとも案外どこかで気に入っていたのか。去年はなにをして過ごしたのかわからないが、得るものは何一つとしてなかったのだろう。
高校の頃、中学の頃、小学生の頃、夏休みはおそらくは楽しかったはずだ。具体的になにをした覚えもないが、そうであったという確信はある。思い込みかも知れないが、去年や今年は思い込むことさえできそうにないのだ。
 トランクスだけを履いて、フローリングに横になる。今日は何時まで寝ていただろうか。眠りに逃げれば、一瞬は確かに安堵を得られる。夏休みが始まって、だんだんと睡眠時間が増えていった。普段は夢も見ず深い眠りにつけるのだが、近頃は耐性がついてきたのか、午前三時に街をゆく新聞配達、近所の小学生がラジオ体操に行く声、蝉の鳴き声でも目を覚ましてしまう。浅い眠りからかすかに現実側に振れた意識が、眼を開き、現実と向き合うことを拒むので、僕はタオルケットに虫のようにくるまり、現実から逃避しようとするのだった。
 明日こそは。
 口を動かしてみて、声が出ないことに呆れた。コンビニやスーパーの店員とのかすかなやり取り以外、ここ数日は声を発した覚えがない。
 明日こそは、か。
 昨日も、おそらくは同じようなことを呟いていた。


二.

 電車内は案外空いていた。夏休みというものはどこも混雑しているのかと思っていたが、帰省する人が多い以上、その分、街からは人が消えているのだろう。単純に、こんな真昼間に移動する人が少ないのかもしれない。連日の報道では熱中症患者は後を絶たず、老人や子供がバタバタと倒れているのだ。それで人口が減っていたのなら、少しはすっきりするのかもしれない。全人類を恨んだりするつもりは毛頭ないが、もやもやが一瞬でも晴れるなら、それでもいい。自分自身が倒れればもっと良いのかもしれないけれど。
 向かう先は、今朝唐突に思い出した、小学生の頃に暮らしていた地域だ。電車を乗り継げば一時間半もかからないのだが、足を伸ばしたことは今までなかった。遊んでいた公園や、よく冷やかしたおもちゃ屋ぐらいしか覚えはなかったが、家で寝ているよりは幼少期の記憶を掘り返したほうが、まだ楽しいのではないだろうか。もしダメだったら、そのときはそのときだ。何も持っていない自分が失うものなどなにもなく、ただ、怖いことがあるとすれば、失っていることに気付かされるのではないかということぐらいだ。
 小学校二年まで暮らしていた地域なので、ほとんど覚えていない。もう……十年以上も経っているのか。どんなクラスメートがいたのかも曖昧で、ただ、少し遠い散歩のようなものなのかもしれない。家で寝ているよりは、よほどいい。
 乗り換えを一度挟んで、目的の駅に到着した。ホームに降りてすぐに出口が二つあることを知るが、どちらに出るべきか、思い出せない。主だった施設名のどれもまるで覚えがなく、人の流れもない。
 まあ、いい。うん。時間だけはある。
 駅を出ると、強烈な日差しが肌を焼く。男でも日傘ぐらい差したほうがいいのかもしれない。僕が小さい頃はこんなに暑くはなかっただろう。ヒートアイランドか、温暖化か、それとも僕が大きくなって表面積が少なくなったからか。環境への適応能力が下がっているのだとしたら、それは自然環境だけではないだろう。高校時代とはガラリと変わった大学という環境に、僕はどうしても馴染めないのだから。
 大きな通りに出て、とりあえず歩いてみる。駅前にはありふれたファーストフード店や居酒屋が立ち並び、画一的なその風景に、何一つ記憶を想起させるものはなかった。
 駅からはあまり近くなかった覚えはあったが、まず小学校を探すことにする。通りを歩いていれば案内板にいつかは出くわし、地名を見れば少しは見当がつくだろう。十五分も歩いて収穫がなかったら、出口を間違えたのだろうから引き返せば良い。
 時間や体力は十分にあるつもりだったが、アスファルトから立ち上ってくる熱気には閉口した。このまま何時間もあやふやな記憶を頼りに歩き続けるのは、さすがに気乗りしない。途中どこかで休む必要があるだろう。幸い、通りにはチェーンの喫茶店やコンビニがたくさんあるようだ。十年前に、果たしてこんなにあっただろうか?
 当時、世界はまだ二十世紀で、もはや戦後ではなかったにせよバブルははじけていた。といってもバブルの恩恵とやらは眼にした覚えもなく、君たちは不幸だと言われ続けてもゆとり世代には今ひとつピンと来ないのだった。
 小学校低学年という年齢がなにを感じるのかなんて、社会情勢に左右されうるのだろうか。文明があろうがなかろうが子供は遊び、親の庇護のもとヌクヌクとすくすくと育っていくのではないだろうか。江戸時代には江戸時代なりの、昭和には昭和の、僕らには僕らの幼少期があり、そこに貴賎があるとすれば、それは社会ではなく子供の側の問題だろう。脚が速い、遅い。ゲームが上手い、下手。子供の社会にも立派に階級は存在して、下位に属するものが生活を楽しめなくてもしょうがないだろう。
 ただ、僕は上位になんて上り詰めたことはないが、当時の記憶は朧気でありながらも、やはり楽しかったように思える。
信号を三つほど渡り、ようやく地域案内表示坂に出くわした。現在地は今ひとつピンとこなかったが、町名は見覚えがある。出口は間違えていなかったらしい。
 このまま行くか、脇道に入るか。次の交差点で左に曲がれば、公園が近い。その公園の名前は覚えがなかったが、行ってみればなにか思い出すかもしれない。
ふと、自分の頭に触れると、黒い髪は日差しを不必要に蓄えており、反射的に手を引っ込めることになった。これは本当に危険か。次に自動販売機を見つけたらスポーツドリンクでも買おう。
 そういえばこのあたりに住んでいた頃、母に付き添って、よく買い物に行った。お手伝いしたいというような感覚でも母から離れたくなかったわけでもなく、ただ、買い物を終えると、普段はあまり飲ませてくれない炭酸飲料を買ってくれることがあった。今でも売っている定番商品だが、このところ飲んだ覚えはない。当時はなにが美味しいのか理解できなかった缶コーヒーなどばかり飲んでいる。別に味を期待したこともなく、ただ、間を持たせるためであったり、幾らかは含まれているはずのカフェインへの期待から口にするだけだ。
 自動販売機の前まで来て、一息つく。あいにく、思い描いた商品はなかった。
 まだ十分と歩いていないが、肉体的には面白いほどに疲労していた。日傘の一つも刺さずにこの季節のこの時間帯を歩くのは、愚かだったらしい。夏休みに入ってこの方、食料品の買い出しと自室での自慰行為ぐらいしか運動をしていない身で、ここに来ることをよくぞ思いついたなと思う。
 公園は見覚えのある場所だった。ブランコ、鉄棒、滑り台ぐらいしかない、ごくごく小さな公園だ。周辺はマンションや住宅に囲まれていて、時間帯によってはきっとこのあたりに住む子供が遊んでいるのだろうことは十分に察せた。そして、たしかに僕もこのあたりに住んでいた。一緒のマンションに暮らしていた子たちと遊んでいたはずだ。なにをしていたのかはよく思い出せないが、この公園にきて、一つだけ思い出したことがある。
 滑り台に寄り、終着点を覗きこむ。ギラギラと光る金属には、今でもくぼみがあった。幼稚園の頃、近所に住んでいる別のグループのいたずらにあったことがある。彼らは滑り台の終わりのところにおしっこをし、それを知らぬ僕をはやし立てて滑らせたのだ。
 服が汚れ、彼らが笑うのを見て、僕はその液体の正体にすぐに気がついた。そして、気持ち悪さと悔しさと、どうしていいのかわからなくなって泣いてしまった。そのリアクションは彼らにとっても意外であったのか、犯人たちは「やべぇ」などと口々に言いながら、汚物にまみれた僕をおいてどこかに走り去った。踏ん切りがつかなくなった僕はいつまでも泣き続けられそうであったが、そうはならなかった。この記憶にはもうひとり、重要な登場人物がいたのだ。


三.

 小学校の前にたどり着いたはいいものの、中に入り込めるはずはなかった。校舎の方から、子供たちが騒ぐ声が聞こえる。プール開放でもやっているのだろうか。通っていた時期もあったが、結局泳ぎがうまくなることはなかった。
 さて、と。
 目的地には思ったほどの苦労もなくたどり着いてしまった。このまま小学校の前にいるのはご時世を考えるとよろしくないだろう。暑さに負けていたはずの食欲も、今更ながら湧いてきていた。どこかでなにか、食事を取れるだろうか。午後二時を回っており、昼食にはだいぶ遅い時間帯だ。
さいころ、外食をした覚えはあまりない。母は立派な主婦であり、毎日きちんと家族の食事を用意していた。童心に帰ろうとこうやって足を運んでみても、結局、母の味を求めて実家に帰るほうがよかったのかもしれない。
 学校の周りをゆっくりと一周し、ふと、近くに駄菓子屋があったことを思い出す。小遣いをあまりもらえていなかったので、自分で買ったことはほとんど無かったが、友達と遊ぶ時に限ってはいくらかの小銭を親にねだり、甘いだけの菓子を口いっぱいに頬張ったりしていた。空腹を満たすような類のものではないが、探してみる価値はあるだろう。
 学校という基点を得た僕は、当時の地理感覚をかなり取り戻していた。ただ、背が伸びた今では当時よりも世界は小さくなっており、距離感はどうしても掴みづらい。
 駄菓子屋の店主は男だったように思う。当時から白髪であったから、まだ存命かどうかもわからない。いまどき、駄菓子屋なんてものがやっていけているかどうかもわからない。ただ、夏休みに、さきほどの公園を通って学校の前に来た僕は、駄菓子屋に行かねばならなかった。
――尿で汚れた僕の前で、彼女は心配そうな顔を浮かべていた。わき目も振らずに泣いていた僕は息苦しさを感じて泣きやみ、それでようやく彼女に気がついたのだった。
 黄色い帽子は一年生のあかしだった。同じ学校の子とそんな形で会ってしまった僕は、懸命に泣きやもうとしたが、気持ちが焦るばかりでどうしてよいのかもわからなかった。眼の奥からは新しい涙が湧きおこりつつあり、あとは声を上げるばかりだった。
「だいじょうぶ?」
 彼女はそう言って、持っていた水泳用のバッグからタオルを取り出す。そして水飲み場に行ってタオルを濡らし、差し出してきた。僕はそれに手を伸ばしかけ、人のタオルを汚すわけにはいかないと思って慌てて引っ込めた。それは僕の中のかすかなプライドによる行動だったが、自分が汚いということを改めて感じてしまい、悔しさと気持ち悪さがどんどんこみ上げてきた。
「いいから、ね」
 少女は真面目な顔をしてそう言うと、僕の脚をタオルで拭きはじめた。驚きと情けなさでいっぱいになった僕は、今度は声を上げずに、堪えられなかった涙をたらたら流し、嗚咽を漏らした。少女は何も言わずに僕の脚を拭き終え、黙ったまま今度は腕を取り、拭いてくれた。
「よし、終りね」
 感謝の言葉を述べなくてはならないと思ったが、まだ声を出せなかった。少女の優しさが嬉しかったし、一方で同い年の女の子にこんなことをされたということがどうしても恥ずかしかった。
「ねえ、来て」
 少女は僕の腕を引いて、歩きだした。その唐突な行動に危うく転びそうになったが、逆らうこともできずに付いていく。涙で視界はぼやけていたが、不思議と歩くのに不安はなかった。少女は痛いぐらいしっかりと僕の手を握り締め、力強い足取りで先へ進む。学校の方向だった。
「やだ、帰る」
 こんな顔で学校には行けない。そう思って、僕は脚を止めた。少女はそれでも僕の腕を引き、
「学校は行かないから、行こうよ」
 と言って、手を離して先を歩きはじめる。引き返して家に帰ることもできただろうが、ゆっくりと彼女の後を追った。
 学校の前を通り過ぎて二回道を曲がり、駄菓子屋の前で彼女は脚を止めた。そのころ、僕はその店の存在も知らず、古ぼけた店構えに、自分が妙な世界に紛れ込んだような気がして茫然としてしまった。
「ほら、一緒に食べよう」
 いつの間にか店内で買い物を済ませた彼女は、二つに割って食べられるアイスを手に持っていた。差し出されるままに受け取ると、少女は笑顔を浮かべた。
「私、これ、好きなんだ。友達と一緒に食べられるから」
 友達、という言葉に驚いてしまう。僕にとっては一学期の間、ほとんど話したことのない同級生の女の子だ学校が同じとはいえ、一度も話したこともないし、そもそもみたことがあるかどうかさえ分からない。こんなに親切にしてくれるのもわからなかったし、友達だなんて考えてもみなかった。
「友達なの?」
「うん、今日から。でしょ?」
 別に、その子は取り立てて可愛いわけではなかっただろう。それでもその笑顔は、黄色い帽子に夏の日差しをいっぱいに浴びて、ヒマワリのように輝いていた。


四.

 十分ほどうろついても、駄菓子屋は見つからなかった。辺りには古ぼけた建物一つ見つからず、所狭しと新しい画一的な戸建てばかりが建てられていた。駄菓子屋がなくなり、この中のどれかになってしまったのだろうことはすぐに分かる。それを否定するほど、ノスタルジックな思いに浸れはしない。
 それから、僕は結局その子と会うことはなかった。夏休みは僕にとって一度しか会ったことのない女の子の顔を忘れるには十分な長さで、その子もまた、僕に話しかけに来たりはしなかったのだ。そして翌年には父の転勤が決まって僕は別の学校に行くことになり、ついに少女と会うことはなかった。
 夏の一日をかけて思い出したのは、この程度のことだ。後悔の念すら湧くこともできない、ありふれたエピソード。仮にタイムマシンでも使って過去を変えられたとしても、僕はあの時に戻りはしないだろう。
帰るか。
 結局、無駄な一日だった。いや、もともと無駄になるべきものがその通りになっただけで、外に出て日の光を浴びただけ、いつもよりましかもしれない。
来るときはだいぶかかったように感じたが、すぐに大通りに出た。道はもう覚えている。陽射しは幾分か和らぎ、かすかに風も吹いていた。昼の暑さを思えばかなり快適だ。自動販売機で買ったスポーツドリンクはとうに飲み終えていたが、僕の肉体は再び水分を欲していた。
 途中、コンビニに入る。大量の汗は急激に冷房で冷やされて、全身が一瞬強く震えた。
 飲み物を買おうかと思ったが、ふと、アイスのコーナーをのぞいてみる。そこには、あのころ少女にもらったアイスが置いてあった。
 自分でも半ばしゃれのつもりで、それを買うことにした。この一日の締めにはふさわしいだろう。
 コンビニを出て、歩きながら袋を開ける。棒が二本刺さった、二人で食べることを想定されたアイス。一人で買って食べるのは相当奇妙なようで、さきほど、レジの店員が不思議そうな視線を僕に向けてきた理由を悟った。
 とりあえず二つに割って、急いで食べてみる。頭がキィンとなりながらも食べ終え、既に溶けかかった二本目に取りかかる。
 ああ、くそ、まずいな。
 あの頃食べたアイスの味を、そのときになって思いだした。そして、少女の言葉が頭をよぎる。この年になって小学校一年生の言葉に教えられるとは実に馬鹿馬鹿しく、また、今の僕にふさわしいのかもしれなかった。